由来・歴史

永閑寺の由来・歴史

阿弥陀如来像
聖徳太子
聖徳太子像

山宮の初代

初代は、1400年後半京都御所の内部を警護していた武士であった。当時天皇に特に忠誠を尽くしたことをみとめられ、山宮という姓を頂き、 『山宮左衛門尉基正』 と名乗った。

永閑寺の開基

1515年後柏原天皇により 『永閑坊浄法』 と命名して頂き、信濃国水内郡赤塩郷へ帰り、寺を開基した。その後、3代目4代目は再び武士として、上杉家に仕えた。3代目基勝は、1575年大坂石山本願寺にて戦死をするが、4代目 『山宮宮藤左衛門基安』 は、1600年 関ケ原の合戦 後、 上杉景勝 に命じられ開拓者として越後へやってくる。そして1623年基安は宣如上人のもと得度し、『法名 釋 道安』となり、今町永閑寺を開基した。

鳳凰鳥
本堂欄間鳳凰鳥

壊滅と再建

1867年三条地震により永閑寺は壊滅、1867年に永閑寺は再建されるが、翌年 戊辰戦争の戦場 となり焼失、1887年に永閑寺は再建される。 2004年中越地震 により本堂が壊滅、しかし2011年本堂が再建され、すべての伽藍がととのい、今に至っている。

本堂欄間

400年記念誌

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